取り扱いブランド一覧(五十音順)
Brands
アントワーヌ・プレジウソは、1957年、スイスのジュネーブに生まれる。
“プレジウソ” という名字はイタリア語で “貴重な” という意味で、アントワーヌは幼い頃から時間の尊さを感じていました。 時計製作に心を奪われた彼はジュネーブ時計学校に入学。5年間に渡る時計修復師としての修行を積み、輝かしい成績を残し首席で卒業しました。 その後、ジュネーブ最大の高級時計ブランド、権威あるオークション会社で、世界最高峰の時計に携わることで歴史と数世紀に渡る時計技術の知識を深めました。 1981年に初の時計工房をジュネーブにオープンします。 その高い技術により有名ブランド、博物館から極めて希少な作品の修復を任されるようになりました。 ジュネーブ時計博物館の創立記念として、記念時計の製作への参加もその一つです。このような経験から本格的な複雑時計の製作に取り組むようになりました。 その華麗なデザイン、魅力的な複雑機構、最高の仕上げは高い評価を得て、時計業界を代表するブレゲの依頼も舞い込みます。世界で最も複雑な腕時計ミニッツリピーターパーペチュアルカレンダーの製作でした。 同時に、アントワーヌ・プレジウソは、新素材の研究にも力を注ぎます。 2002年には、世界初のメテオライト(隕石)をケースに採用した時計を発表。 同年にはハリー・ウィンストンが2001年から腕利きの独立時計師とのコラボレーションにより革新的な複雑機械式時計を製作する「オーパス・シリーズ」でその第2号となる芸術性の高いトゥールビヨンを開発・製作しました。 2015年には、息子のフローリアンと長年に渡る精力的な共同作業から生まれた「トゥールビヨン オブ トゥールビヨン」Cal.AFP–TTR3Xを発表。 「ジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ(GPHG)」では “イノベーションウォッチ賞” と “パブリック賞” を受賞しました。 2020年には、 “ガイア賞2020” のクラフトマンシップ・クリエーション部門の受賞者にも選出されます。このガイア賞は、芸術と文化を繋ぐ分野で特別な功績を残した、優れたクリエーターにだけ贈られるものです。 2023年、シエナのカンポ広場にある時計塔にインスパイアされたモデルの「シエナ」初代モデル発売から30年を経て、ケースラインとサイズが限定回帰し、中世を想わせる飾り針を配した「シエナ」復刻モデルを発表しました。 アントワーヌ・プレジウソは、誇り高きクラフトマンシップの伝統を受け継ぎながらも、既成概念に縛られることなく、世界中の時計愛好家に愛される卓越した芸術作品を数多く生み出し続けています。 |
|
1882年、ラモン・イ・クエルボはハバナの中でも一流ショップが集まる、キンタ通りに高級時計宝飾店La Casa(ラ・カーサ)をオープンしました。
やがてアルマンド・リオ・クエルボを含む兄弟達が経営に参加し、後に店名を“クエルボとその甥達”という意味である「クエルボ・イ・ソブリノス」(以下、CYS)に変更。事業を拡大させ、時計をスイスのラ・ショー・ド・フォンで製造。卓越したスイスの時計製造の技術に、ラテンの精神を吹き込むことに成功します。 1940年代、砂糖需要の拡大によりキューバはかつてない好景気に沸きます。それと同時にCYSも絶頂期を迎え、パテック・フィリップやロレックスといったスイスの一流時計メーカーにオーダーしたショップウォッチも数多く誕生しました。 作家のアーネスト・ヘミングウェイ、俳優のクラーク・ゲーブル、政治家のウィンストン・チャーチル、そして物理学者のアルベルト・アインシュタインなど当時の多くの著名人たちが、CYSの顧客名簿にその名を連ねていることからも、その人気ぶりが窺い知れます。 しかし、1950年代後半に起きたキューバ革命などの政情不安により、CYSは営業停止を余儀なくされました。 1997年、前CEOによって発見されたCYSは、2002年本格的に時計ブランドとして復活。 現在、スイスのルガーノを拠点に、栄華を極めた時代のCYSが残したムーブメント、当時のスケッチやデザインからヒントを得て、往年の時計コレクションに最新技術を融合させた、ハバナテイストを基調としたタイムレスでエレガントなタイムピースを生み出しています。 2022年、ブランド創業140周年を迎えました。 |
|
【創業者 コンラッド・ダマスコ】
ダマスコは、コンラッドとペトラのダマスコ夫妻によって設立された、その名が示す通りファミリービジネスのブランドです。 ドイツのレーゲンスブルクに拠点を置くダマスコの企業理念は、時計を純粋に愛する人やスポーツに不可欠な時計のための材料選びから設計、そして品質に対する絶え間のない追求です。 それは機能性と堅牢性の理想的な構築を目指している証です。 【Made in Germany】 国際的に認められた品質基準を満たしたドイツ製品です。 愛用する側に立った最高の完成度と精度への熱い期待を吸収し、その条件を満たすために妥協なき技術によって製品化を目指すことがダマスコに課せられたミッションです。 【ダマスコの持ち味】 時計の製造上の幾多の難題に対する打開策とその実装に関わるダマスコの徹底した新素材の研究やプロセスは、このフィールドにおけるリーディングカンパニーのひとつと言えるでしょう。 その多くの重要な特許と保護された工業デザインがダマスコの持ち味なのです。 |
|
ドイツの東端、ポーランドとチェコとの国境に接しているザクセン州、その南方に位置するのがグラスヒュッテの街です。
グラスヒュッテは時計産業が興るまで銀鉱山により発展していましたが、19世紀に入ると鉱山の枯渇により窮地に陥ります。 グラスヒュッテに雇用を生み出すため、また時計製造の中心地であるスイスに匹敵する拠点をつくるため、1845年にグラスヒュッテに入植して時計産業を興したのが、フェルディナント・アドルフ・ランゲ(のちのA.ランゲ&ゾーネ創業者)でした。 A.ランゲに師事した時計師たちはのちに独立し、グラスヒュッテに工房や時計会社を設立。 瞬く間にドイツ時計を発展させ、19世紀終わりにはそれらが「グラスヒュッテ時計」と銘打たれるほどに、グラスヒュッテは時計産業の一大中心地へと成長します。 その後、時計産業の傾向がマシンを導入しての均質的な量産志向へと向かい、グラスヒュッテも時計製造の近代化を試みました。 そうして1918年に創業されたのが、最新機械を導入して製造能力の向上を目指した『ドイツ精密時計会社グラスヒュッテ(略称:DPUG)』です。 しかし、第一次世界大戦後の1923年からドイツで起こったハイパーインフレーションや、廉価なスイス時計の流入によりDPUGは経営に大打撃を受けます。 1925年に一度倒産したDPUGですが、近代化に向かっていたDPUGの時計製造に着目したザクセン政府により、1926年に再編されたうえでの存続が決定します。 そして1927年、DPUGはエボーシュムーブメント製造会社『UROFA』と、時計外装製造・組立会社『UFAG』に分割再編され、技術や設備などはそのまま引き継がれました。 設立されたUROFA・UFAG両社の社長に就任したのが、エルンスト・クルツ博士(1899-1996)です。 もとは法律家であり、1926年にDPUGの再編が決定した際は社の法律顧問を務めていました。 クルツ博士が、チュチマ・グラスヒュッテの前身である『クルツ社』の創業者となる人物です。 クルツ博士はグラスヒュッテにて主流となっていた懐中時計から、腕時計へと主力製造を転換していきました。 また、彼はスイス時計と比べた際、より信頼性が高く、耐久性が高いドイツ時計を製造することを強く意識していました。 そこで、UROFA社・UFAG社にて製造された最高精度・品質の時計のことを、ラテン語で「安全な、精密な」を意味する形容詞、tutusに由来する 【Tutima】 と命名しました。 クルツ博士を先頭に、UROFA社・UFAG社は第二次世界大戦期まで数多くの名機を発表します。 とくにドイツ国内においてTutimaの名声を高めた傑作として知られるのが、1941年から製造された、UROFA ”Tutima” Cal. 59搭載の「フリーガークロノグラフ」です。 ドイツ空軍からの依頼により開発された本機は、第二次世界大戦期のドイツで使用されたクロノグラフで最もすぐれた精度を誇り、マイナス10℃~プラス40℃の環境下で日差は-3~+12秒を保つ高性能であったため、制式採用されました。 しかし大戦末期、ドイツ軍の指定工場となっていたUROFA社・UFAG社の社屋と工房が、爆撃を受け壊滅します。 クルツ博士とUROFA社・UFAG社の一部メンバーらは、わずかに残った設計図や設備を持ち、グラスヒュッテを含む東ドイツが成立する前に脱出。 1945年、アメリカの占領下にあった南ドイツバイエルン州へ辿り着いたクルツ博士らは、メンメルスドルフ町にて時計会社『クルツ社』を設立し、グラスヒュッテ時代の伝統を受け継ぐ時計づくりを続けました。 その後1951年にニーダーザクセン州、ブレーメン近郊のガンダーケゼーにクルツ社を移転し、Kurz Cal. 25などの高品質ムーブメントを製造しました。 1960年代、第一線を退いたクルツ博士から、クルツ社からのメンバーであったディーター・デレケイトがその経営を引き継ぎます。 デレケイト氏は、当時低価格競争一色であった時計市場において、高品質ゆえに高価な自社製造ムーブメントのみではこの先厳しいと判断。自社ムーブメントから汎用ムーブメントの採用にも踏み切ります。 同時に70年代に起こったクォーツショックにも柔軟に対応、クォーツウォッチをいち早く製造販売し、ドイツ内外問わず幾多の時計ブランドが経営破綻に陥るなか、クォーツショックを乗り切ることに成功します。 そして1983年、正式に社名を『チュチマ社』へと変更します。 その翌年、チュチマ社時代を代表し、世界的にもチュチマの名が広がることとなった傑作モデル「Ref. 798」を発表します。 「Ref. 798」は、NATO軍から各時計会社へ通達された空軍用時計の高い要求スペックをクリアし、NATO空軍の制式装備として採用されました。 この傑作モデルにより一躍チュチマの名は世界に広まりました。 1989年、ベルリンの壁崩壊で東西ドイツが統合されたことを期に、デレケイト氏は「グラスヒュッテへの帰還」を決意します。 すでにガンダーケゼーの地に根付いた時計ブランドへと成長していたこともあり、グラスヒュッテへ再び戻るまでには時間を要したものの、2008年、チュチマは故郷グラスヒュッテへの帰還を果たします。 社名も『チュチマ社』から、『チュチマ・グラスヒュッテ』へと変更し、グラスヒュッテ・ウォッチブランドのひとつに認められました。 2013年には、1960年代から停止していた自社開発ムーブメントの製造を再開、伝統的なグラスヒュッテスタイルの手巻ムーブメント「Cal. 617」をパトリア(ラテン語で「故郷」の意)コレクションに搭載し、完全自社製造ムーブメントを復活させました。 こうしてチュチマ・グラスヒュッテは現在に至り、グラスヒュッテ・ウォッチブランド9社のうちの一つとして、厳しい「グラスヒュッテ規格」に準じた真摯な時計づくりを続けています。 |
|
【純国産のワインディングマシーン(自動巻時計巻き上げ機)】
日本国内にてハンドメイド製造される性能・デザイン共に優れたワインディングマシーンです。 巻き上げ機構の要であるモーターには、産業用のシンクロナスサーボモーターを採用し、高い静音性を実現しています。 AC100V電源に接続し、運転スイッチを押下した時間に1日1回、自動運転(巻き上げ)いたします。運転持続時間は1~4時間の4段階設定が可能です。 巻き上げ方向は左右両方向回りとなっています。 外装はアルマイト仕上げのジェラルミン製で、側面に型押しカーフレザーが巻かれ、インテリアとしても機能する高い質感です。 時計とワインダーを保護する、各機種専用のアクリルケースもオプションでご用意しております。 1本巻きから5本巻きまで、お手持ちの時計に合わせたセット本数のモデルをお選びいただけます。 時計をセットする取り付けバネの寸法は、オーダー時に大~小3種類のサイズから選択可能です。 複数本巻きの場合は、それぞれに異なるサイズのバネを選択いただけるため、お手持ちの各々の時計にフィットするようなカスタマイズも可能です。 |
|
オーストリア発の老舗革ベルトメーカー『HIRSCH(ヒルシュ)』。
ヒルシュの歴史は1765年、ヨハネスフラツ・ヒルシュが、オーストリア北東部に位置するニーダーエスターライヒ州に皮革工房を開き、小さななめし工場で靴やサドル用の皮革生産をはじめたことから始まります。 2010年のバーゼルフェアでは、水泳やダイビングにも使用できる世界初の100m耐水アリゲーターベルト「カピターノ」を発表するなど、多くの革新的な時計ベルトを世に送り出してきました。 また、2022年からはサステナブルな素材開発にも力を入れ、ストーンやリーフなど多くの自然素材をリサイクルし、ベルトに採用。 皮革以外の素材で時計を演出する楽しみをも広めています。 ヒルシュは原皮のクオリティを厳格に管理するための組合をスイスに設立し、高品質な原皮を管理しています。 それにより、長年の歴史と製品の品質が評価され、スイスウォッチメゾンへのOEMベルト供給をはじめ、世界中の時計ベルトを手掛けています。 【ヒルシュ時計ベルトの特長】 1. 色も素材もバリエーションが豊富 2. 既製ベルトのケース側幅は最小6mmから最大30mmまで揃っています 3. 高耐水性やサステナブル素材などコレクションごとの特色があります 4. クイックリリースシステム(ワンタッチバネ棒)でベルトの付け替えが簡単 5. お客様のお好みに合わせ、オーストリアにて製作のスペシャルオーダー受注が可能(通常納期約2か月) 【スペシャルオーダーについて】 店頭にてお客様のご要望をヒアリングし、ヒルシュ既存ベルトとの組み合わせあるいは完全オリジナルによる、ベルトのスペシャルオーダーを承ります。 表皮・裏皮・ステッチの種類や色はもちろんのこと、時計ケース側幅・バックル幅・長さ・厚み・形状なども自由にお選びいただき、オーストリアでの100%ハンドメイド(手縫い)にてお客様だけの時計ベルトをお作りいたします。 ※価格はお問い合わせください。 ※天然素材のため、店頭皮革サンプルやカタログと色味や質感が異なる場合がございます |
|
【Craftsmanship PRIM】
チェコ共和国を代表する時計メーカーであるマニュファクチュール プリム。 1957年に“端整”の意味を持つプリムと商標登録する以前から独創的な機械式時計を製造してきました。 首都プラハのランドマークとして今も時を刻み続けている旧市庁舎の天文時計が製造された1410年から、この国にはクラフツマンシップの精神が根底にあり、その伝統をプリムも受け継いでいるのです。 【Manufacture PRIM】 ドイツ、オーストリア、スロバキア、ポーランドに囲まれたチェコ共和国の首都プラハより車で約2時間ほどかかるポーランドとの国境近くの町ノヴェー・メスト・ナト・メトゥイーに今もプリムの本社は存在します。 今日もムーブメントをはじめケースや文字盤、針に至るまで、垂直統合の完全自社一貫生産を行う同社は、世界的に希少な時計メーカーの1社といえるでしょう。 【Memory PRIM】 時計は、時を告げるだけの存在ではありません。それは人それぞれの個性やライフスタイルを如実に物語ります。 プリムはドラマチックな時の流れとともに愛用者のメモリアルな思い出を宿す記憶装置としても価値のある時計作りを目指しています。 |
|
【ベルテの誕生】
ベルテの歴史は古く、創業者のジョセフ・ベルテが1888年にスイスと国境を接するシャルモヴィエで創設した、懐中時計の工房にさかのぼります。 当初は小さな工房に過ぎなかったベルテですが、1893年にブザンソンで開催された時計産業見本市で、ジョセフ・ベルテ製作の懐中時計が銅メダルを受賞。これを機に、独自の時計ブランドとしての地位を確立したのです。 【マニュファクチュールとしての伝統】 ベルテはマニュファクチュールとして歴史を刻むなかで、技術と共に伝統的な製造機器も継承をしてきました。時計ブランドの多くはオートメーション化を進めており、工業製品的な時計が増えていますが、手作業で製作する割合の多いベルテの時計には、古き良き時代の時計が持つ、独特の味わいが継承されています。 【フランス政府が認めたベルテの品質】 2017年、フランス政府はベルテに“EPV(Entreprise du Patrimoine Vivant /無形文化財企業)”のラベルを発行しました。これは古くから受け継がれてきた専門的技術を保持する優秀な企業に対してフランス政府が与える認定証です。 フランスで唯一の自社で懐中時計と複雑な機械式ムーブメントの製造を行うことができる企業、つまりフランス政府認定のマニュファクチュールとして、お墨付きを得たことを示しています。 【As watch making industry】 ベルテは1888年の創業以来、懐中時計などを作ってきたメーカー。今なお、手巻きの懐中時計や腕時計を製造するほか、様々なメーカーのOEMを請け負っています。 【Made in france】 ベルテと同等の価格帯では中国製のムーブメントを載せたものが多いのですが、ベルテの手巻きムーブメントは自社製で、フランスの工場で製造しています。価格を抑えられる理由は、製造工程にプレスを多用していること、そして、OEMがビジネスの主体だからです。 |
|
【ROYAL TWS YOKOHAMA MOTOMACHI】
Ref.BR.RYL.43.WH.S.L/LMT-TWS ベルテの通常モデルに独自の変更を施した、当店でのみご購入いただけるオリジナルモデルです。 店主が ❝1860年代の開港時代の横浜にもたらされた西洋時計❞ に着想を得てデザインし、異国情緒あふれる、クラシカルなマリンテイストをもつ時計として完成しました。 横浜・元町に位置する、当店ならではのモデルとなっています。 時計の雰囲気を損なわないよう、裏蓋部分にのみ当店限定モデルとわかる刻印が施されています。 ▼発表資料のダウンロードはこちらから▼
最終更新日:2023/9/1
【ヒルシュ】製作の付け替え好適ストラップ
▼発表資料のダウンロードはこちらから▼
最終更新日:2023/10/6
|
モデル名 : ROYAL TWS YOKOHAMA MOTOMACHI
品番 : BR.RYL.43.WH.S.L/LMT-TWS ムーブメント : 手巻き Cal.16 1/2-6498(ベルテ自社製造) 価格 : 165,000円(税込) |
スイス、ジュラ州ル・ノワールモンに本社を置くポール ピコは、時計をこよなく愛し、自らも時計収集家であるイタリア人企業家、マリオ・ボイオッキが1976年に設立した時計工房です。
当時はクォーツショックの真っただ中でしたが、ボイオッキは機械式時計の再興を図るという不屈の精神力と決断力とともに、卓越した職人の技術を用いて時計の生産を始めました。 ポール ピコのネーミングは、キリスト教の伝道師『Paul/ポール(パウロ)』と、18世紀のジュラ州における著名な懐中時計職人で、時計作りに情熱を傾け続けた伝説的な時計師『Picot/ピコ』の名を組み合わせて命名されました。彼は素晴らしい時計の数々を、ひとつひとつ完全に手作業で作り出しました。 ボイオッキは時計師ピコの価値観を継承すべく、彼の名をブランド名に掲げたのです。その価値観の継承として、ポール ピコは素材やデザインの質が最も重要だと考えています。 それを体現する言葉"気品はディティールに宿る"をブランド理念として、真のスイス時計製作技術が持つ古典の伝統と価値に、現代を生き生きと感じさせる優雅かつ時を超えたデザインを組み合わせる技術を極めています。 ポール ピコの時計は、伝統と卓越性を重んじながら、斬新で、心を躍らせる力を備えています。そして、現代のファッションでありながら永遠の美しさを備えた真の個性を追求し続けています。 ポール ピコは1976年の創業以来、なによりもスイスの高級時計製作技術の育成と開発をめざしてきました。 スイスのウォッチメゾンとしては若いブランドですが、スイスの匠の技、イノベーション、ディテールへの情熱、独創的かつ装飾を避けた美学を追求するその姿勢は、他の追随を許さないと言っても過言ではありません。 この伝統に基づいた時計作りを担っているのが、ル・ノワールモンの小さな工房で協力しながら、優れた時計を設計し、生産する熟練した時計職人達です。 専門知識と絶え間ない製造技術への追求心、確かな経験をもった職人達の手によって大量生産では実現できない希少価値が生み出されています。 |
レゼルボワールは、2016年にフランス・パリで設立されたウォッチブランドです。
創業者/CEOのフランソワ・モローがヴィンテージ計器に魅せられ、その熱烈なコレクターであることが腕時計に反映されているユニークなブランドです。 ヴィンテージ計器からインスピレーションを得て製作されるレゼルボワールの時計には、自動車、航空機、海洋の世界で躍動するカウンター、マノメーター、 ゲージの機能性と審美的魅力がデザインに活かされています。 タコメーターを想起させる可動範囲が240度のレトログラードミニッツ、距離計を連想させるジャンピングアワー、燃料計を彷彿させるパワーリザーブという3つの複雑機構を組み合わせた斬新な時間表示を特徴としています。 毎年、バーゼルワールドや米国のクチュール、メキシコのSIARといった国際的なウォッチフェアに出展し、その斬新さがメディアから注目され、これまでに4回(2018、2019、2020、2021年)スイスGPHG(ジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ)にノミネートされました。 |